藤圭子の現在と2013年の真相|宇多田ヒカルとの絆とお墓の行方

藤圭子の現在と2013年の真相|宇多田ヒカルとの絆とお墓の行方

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藤圭子の人生を語る上で欠かせないのが、底辺から頂点へと駆け上がったあまりにもドラマチックな来歴です。岩手県一関市に生まれ、盲目の三味線奏者であった母・竹山澄子さんと浪曲師の父・阿部壮20さんの間に生まれた彼女は、幼少期から生活のために一家で各地を旅回り、自らも「門付(かどづけ)」として路上で歌って家計を助けていました。

1969年に「新宿の女」でデビューするや否や、ハスキーで哀愁を帯びた歌声が夜の街で働く人々の心を捉え、瞬く間に社会現象となります。続く1970年発表の「圭子の夢は夜ひらく」は大ヒットを記録し、当時の日本レコード大賞をはじめとする数々の賞を総なめにしました。ファーストアルバム『新宿の女』とセカンドアルバム『女のブルース』は、オリコンアルバムチャートで通算42週連続1位という、日本の音楽史上いまだ破られていない空前絶後の大記録を打ち立てています。

年代・時期出来事・キャリアの実績当時の状況・背景歌謡史・後世における評価1969年〜1970年「新宿の女」「圭子の夢は夜ひらく」連続ミリオン、アルバム42週連続1位極貧の旅回りから18歳で一躍国民的トップアイドル演歌歌手へ昭和歌謡の金字塔。作詞家・石坂まさをとの黄金コンビで「怨歌」の代名詞を確立1971年〜1972年内山田洋とクール・ファイブの前川清と結婚、わずか1年で離婚当時20歳と23歳のトップスター同士の電撃婚。多忙と生活観の不一致により破局離婚後も互いに敬意を保持。前川清は後年も「本当にピュアで優しい人だった」と証言1982年〜1990年代宇多田照實氏と結婚(離婚と復縁を7回繰り返す)、渡米し娘・光(宇多田ヒカル)出産ニューヨークを拠点に家族ユニット「U3」などで活動。芸能界から徐々に距離を置く宇多田ヒカルの圧倒的な音楽的才能を育み、デモテープ制作や歌唱指導で才能を開花させる2000年代〜2013年照實氏と正式離婚。世界中を旅しながらカジノ等での多額の散財報道、西新宿で隠遁心の病が進行し、家族との接触も困難に。2013年8月22日に逝去(享年62)希代の歌姫の早すぎる死として社会に衝撃を与え、天才親子の血脈が再認識される

1971年、20歳の若さで前川清と結婚した際は、昭和歌謡界のビッグカップル誕生として日本中が沸き立ちました。しかし、結婚生活はわずか1年で終止符を打ちます。離婚理由について、前川清は後のインタビューで「お互いにあまりにも多忙を極めていたこと、そして若すぎて家庭というものを築く心の準備ができていなかった」と述懐しています。泥沼の愛憎劇ではなく、互いの立場を尊重した上での友好的な別れであり、前川清は彼女の急逝時にも「哀しすぎて言葉が見つからない」と深く沈痛の意を表していました。

その後、音楽プロデューサーの宇多田照實氏と巡り合い、入籍と離婚を7回繰り返すという波乱に満ちた生活を送りながら、1983年に娘・光(宇多田ヒカル)を出産。アメリカへ渡った藤圭子は、娘の天賦の才能を誰よりも早く見抜き、自らの音楽的感性を注ぎ込みました。1998年、宇多田ヒカルが『Automatic』で日本のポップス史を塗り替えた瞬間、その才能の土台には母・藤圭子の魂が確かに息づいていたのです。

池田 達也
著者

池田 達也

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。