当事者コミュニティに耳を傾けると、呼称に対する受け止め方は世代や生活環境によって温度差があります。
70代以上の当事者の手記には、「昔は役所でも病院でも『ろうあ』と呼ばれ、話せないことを哀れみの目で見られた。あの呼び名には屈辱の記憶が染みついている」と述懐する声が散見されます。一方で、80代の高齢者の中には「長年『ろうあ協会』で仲間と過ごしてきたから、仲間うちで呼ぶ分には違和感がない」とする意見もあります。
対照的なのは、手話言語条例の広がりやデジタル機器の普及とともに育った20代から40代の意識です。SNSや当事者インタビューでは、極めて明快な境界線が語られています。
「職場で上司から『ろうあ者の方』と紹介された瞬間、強い違和感を覚えました。私たちは手話という豊かな言語で活発に意見を交わしているのに、なぜわざわざ『口が利けない人』という古いレッテルを貼られなければならないのか」(都内のIT企業に勤務する30代ろう者男性)
「耳が聞こえないだけで、思考も感情表現も健聴者と何ら変わりません。手話で淀みなくコミュニケーションを取っている姿を見れば、誰も『唖』だとは思いません」(20代デフアスリート)
また、デフコミュニティ内部における「ろう文化」の実態も見落とせません。ろう文化では、相手の顔や目を見て話すアイコンタクトが絶対的なルールであり、拍手の代わりに両手を顔の横でひらひらと揺らす視覚的な賞賛表現や、遠くの人を呼ぶ際に床を振動させたり照明を点滅させたりする独自の生活習慣が共有されています。彼らにとって日本手話は単なる日本語の置き換えではなく、独自の文法構造を持つ母語であり、精神的支柱なのです。