現代の感覚では「冬の早朝が一番良いなんて、清少納言はやせ我慢をしていたのではないか」と疑いたくなるかもしれません。しかし、当時の貴族たちの生活実態や建築構造を検証すると、彼女がこの描写に至ったリアルな切迫感が見えてきます。
平安京の冬は、現代の京都市内と同様、盆地特有の強烈な「底冷え」に見舞われます。しかも、当時の貴族が暮らしていた寝殿造の建物は、夏を涼しく過ごすことを最優先に設計された開放的な木造建築でした。ガラス窓など存在せず、板戸(蔀戸・しとみど)や御簾(みす)で外界と隔てられているだけだったため、すきま風が容赦なく吹き込みます。室内気温は氷点下近くまで下がることも珍しくありませんでした。
そうした過酷な住居環境における唯一の暖房器具が「炭火」でした。灰を敷いた火桶(ひおけ)や炭櫃(すびつ)に熾した炭を入れ、手をかざして暖をとるのが精一杯の防寒対策です。朝一番、凍りつくような冷気に包まれた邸内で、女房や従者たちが息を白く吐きながら、パチパチと音を立てる真っ赤な炭を火桶に盛り、主人の部屋へと小走りで運んでいく――その張り詰めた空気の中にこそ、生きている実感と生命のぬくもりが凝縮されていました。
教育関係者や古典文学の授業現場からの報告でも、「冬の早朝の情景を、単なる文字情報ではなく『当時の寒さと炭火の暖かさのコントラスト』として説明すると、生徒の目の色が変わり、共感の声が一気に増える」という分析がなされています。清少納言は、不快極まりないはずの寒冷空間を、鋭い観察眼によってエンターテインメントへと昇華させた現場のルポルタージュの名手だったのです。