慣性モーメントの威力が最もドラマチックに可視化される現場が、冬季五輪でも注目を集めるフィギュアスケートのリンクです。選手がスピンに入る瞬間、両腕と片足を大きく広げた状態から一気に胸元へ腕を引き込むと、目にも留まらぬスピードへ急加速します。この現象のバックボーンにあるのが角運動量保存の法則です。
外部から回転の力(外力によるトルク)が加わらない孤立した系では、角運動量 $L = I \omega$ は常に一定に保たれます。選手が腕を体に密着させると、回転軸からの距離 $r$ が縮まるため、選手の身体全体の慣性モーメント $I$ は劇的に低下します。積 $I \times \omega$ が不変である以上、$I$ が小さくなった分だけ、角速度 $\omega$(回転スピード)が跳ね上がらざるを得ないのです。選手の手記やコーチ陣の指導現場でも「軸を細く絞り込む感覚」が徹底して叩き込まれますが、これは身体を使って意図的に慣性モーメントを操作する超一流の物理的コントロールといえます。
一方、道具の力学として慣性モーメントを極限まで活用しているのがゴルフのドライバー市場です。ゴルフショップや専門誌で「ミスに強い」「曲がらない」と謳われるクラブヘッドの裏側には、緻密な慣性モーメントの追求があります。
ドライバーのヘッドにおける慣性モーメントには、主に「垂直軸まわり(左右MOI)」と「水平軸まわり(上下MOI)」が存在します。アマチュアゴルファーがボールを打つ際、必ずしもフェースの真ん中(芯)で捉えられるわけではありません。トウ側(先端寄り)やヒール側(根元寄り)で打球すると、インパクトの衝撃によってヘッドには急激に開いたり閉じたりする回転トルクが加わります。このとき、ヘッドの左右慣性モーメントが大きければ、ヘッドが当たり負けしてねじれる回転運動に強烈なブレーキがかかるため、フェースの向きのブレが最小限に抑えられ、ギア効果によるスライスやフックの曲がり幅を劇的に抑え込めるのです。
ゴルフ用具のルールを統括するR&AおよびUSGAは、左右の慣性モーメントに対して「5,900 $\mathrm{g\cdot cm^2}$」という上限規制(測定誤差を加味した許容値は6,000 $\mathrm{g\cdot cm^2}$)を設けています。これ以上大きくすると、人間がどんなにミスヒットしてもボールが真っ直ぐ飛んでしまい、競技性が損なわれると判断されたためです。近年ギア市場で一大トレンドとなった「左右+上下の合算MOIが10,000 $\mathrm{g\cdot cm^2}$」を謳う通称「10Kドライバー」は、ヘッド単体の左右MOI規制を守りつつ、上下方向のMOIも限界まで引き上げることで、打点が上下左右に散らばっても初速とスピン量を安定させる設計思想に基づいています。