五代目円楽が立ち上げた「円楽一門会(五代目円楽一門会)」の屋台骨として、六代目円楽が担っていた役割は極めて巨大でした。当時の落語界は東西や所属団体(落語協会、落語芸術協会、円楽一門会、落語立川流)の間に見えない壁が存在していましたが、六代目円楽は持ち前の行動力と人脈を活かし、その垣根を取り払うことに情熱を注ぎました。
その最大の結実が、彼がプロデュースした「博多天神落語まつり」です。東西・流派の垣根を超えて全国のトップ落語家が一堂に会するこの一大イベントは、演芸界に革新をもたらしました。
六代目の急逝後、空位となっている「七代目三遊亭円楽」の名跡襲名については、一門の総意として慎重に議論が重ねられています。六代目の筆頭弟子である三遊亭楽生をはじめとする直弟子たち、そして三遊亭好楽や三遊亭小円楽といった重鎮たちが中心となり、六代目が目指した「落語界の大同団結」の灯を消さぬよう、一門一丸となって伝統の継承と新たな挑戦を続けています。