出浦昌相とは何者?真田丸で話題の最強素破、衝撃の生涯と最期の真相を徹底解説

出浦昌相とは何者?真田丸で話題の最強素破、衝撃の生涯と最期の真相を徹底解説

出浦昌相とは何者?真田丸で話題の最強素破、衝撃の生涯と最期の真相を徹底解説についての真相をお届けします。

戦国時代を題材にした創作物において、忍者はしばしば闇に隠れて生きる身分の低い存在として描かれがちです。しかし、真田家に仕えた出浦昌相(読み方:いでうら まさすけ)の実態は、そうしたステレオタイプを根底から覆す異色の武将でした。古文書や地方史料においては出浦盛清(いでうら もりきよ)の名で多く記録されており、実名が「昌相」、通称として「上総守」や「対馬守」を名乗っていたことが確認されています。

出浦氏は信濃国更級郡出浦(現在の長野県坂城町周辺)を本拠とした信濃村上氏の庶流であり、決して素性の知れない流れ者ではありません。村上義清が甲斐の武田信玄に敗れて信濃を追われた後、昌相は武田家に臣従し、卓越した情報収集能力とゲリラ戦の才覚を買われて甲州透破(こうしゅうすっぱ=武田家お抱えの忍者集団)の頭領として頭角を現しました。

当時の大名にとって、敵地の情勢を探り、流言を流して内応工作を仕掛ける諜報部隊は勝敗を左右する生命線でした。出浦昌相は単に現場で刃を振るう工作員ではなく、多数の素破たちを組織化して戦略的なインテリジェンス作戦を指揮する、いわば特殊作戦部隊の司令官だったのです。

木村 陽翔
著者

木村 陽翔

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。