現在月面図に見られる「静かの海」や「雨の海」といった情緒的な名称を確立した張本人は、イタリアのイエズス会天文学者ジョヴァンニ・バッティスタ・リッチョーリ(Giovanni Battista Riccioli)です。リッチョーリは助手のフランチェスコ・マリア・グリマルディとともに綿密な月面図を制作し、1651年に大著『新アルマゲスト(Almagestum Novum)』で発表しました。
当時、先行して月面地図を出版していたヨハネス・ヘヴェリウスは、地中海や黒海など「地球上の地理的名称」を月にそのまま当てはめる手法を提唱していました。しかしリッチョーリはこれを一蹴し、極めて先駆的な二つの独自ルールを打ち立てました。
第一のルールが、「クレーターには歴史上の偉大な天文学者や哲学者の名前を付ける」という方針です。プラトン、コペルニクス、ティコ、ケプラーといったクレーター名はリッチョーリの命名が起点となっています。自らの敵対派であった地動説支持者の学者たちにも公平に著名なクレーターを割り当てた姿勢は、学術史上で高く評価されています。
第二のルールこそが、「海には天候、気象、および人間の心理状態にちなむ名称をラテン語で割り当てる」という詩的な体系化でした。リッチョーリが生きた時代、天文学は占星術的な「天体の運行が地球の気象や人体の体液バランスに影響を与える」という思想と未分化でした。月の満ち欠けによって地上にもたらされると信じられていた大気現象や人間の精神状態を、月の各エリアへと投影したのです。