2008年12月22日に発表された井端弘和と河野明子の婚約会見は、球界とメディア界の双方に大きな衝撃を与えました。当時、河野明子は古舘伊知郎の隣で『報道ステーション』の顔として確固たる地位を築いており、局内でも将来のエースアナウンサーと目されていたからです。
ふたりの出会いの原点には、河野明子が幼少期から生粋の中日ドラゴンズファンであったという事実が存在します。テレビ朝日のスポーツ取材や知人を介した会食で言葉を交わす機会があり、長年のリスペクトが基盤にありました。本格的な交際がスタートしたのは2008年夏の北京五輪後であり、そこからわずか約4ヶ月というスピード婚でした。
退社理由について、一部では局内の人間関係やキャスター降板論などが邪推されたこともありましたが、真実は極めて明快でした。当時、中日の主力選手として過酷なペナントレースを戦っていた井端弘和の本拠地は名古屋でした。平日の帯番組である『報道ステーション』の生放送を担当しながら名古屋の夫を支えることは物理的に不可能です。当時の関係者の証言によると、河野明子は「中途半端な遠距離婚で夫のコンディションを損なうわけにはいかない」と自らスパッと決断し、局側の慰留を丁重に断ったとされています。