楚の宰相・春申君の悲劇的な最期とは?李園に殺された真相と史実の全貌

楚の宰相・春申君の悲劇的な最期とは?李園に殺された真相と史実の全貌

楚の宰相・春申君の悲劇的な最期とは?李園に殺された真相と史実の全貌とは一体何なのか? 主要なファクトを丁寧に紐解いて紹介します。

春申君の本名は黄歇(こうあつ)。博学多才で弁舌に優れ、楚の王族ではない家柄から自らの知略一本で最高権力者にまで上り詰めた人物です。

彼の生涯における最初のハイライトは、強国・秦への人質交渉でした。楚の太子・完(後の考烈王)が秦に人質として囚われていた際、黄歇は機転を利かせて太子を変装させ、無事に楚へ脱出させることに成功します。自身は死を覚悟して秦に留まりましたが、秦の宰相・范雎(はんしょ)の計らいもあって無罪放免となり、帰国を果たしました。

紀元前263年に太子が考烈王として即位すると、黄歇は最大の功臣として楚国の宰相に任命され、「春申君」の封号と江東(現在の上海一帯)の広大な領地を与えられます。その後、北方の小国であった魯を滅ぼして領土を拡大し、長年にわたり衰退傾向にあった楚の国力を劇的に回復させるなど、内政・軍事の両面で卓越した手腕を発揮しました。

中島 亮太
著者

中島 亮太

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