そもそも「怪僧」と称されるラスプーチンですが、実のところ彼は正規の聖職者(修道士や司祭)ではありませんでした。本名はグリゴリー・エフィモヴィチ・ラスプーチン。1869年、シベリア西部のトボリスク県ポクロフスコエ村の貧しい農家に生まれました。読み書きも満足にできないまま青年期を過ごした彼は、結婚して子供をもうけた後、突如として宗教的覚醒を経験します。
ロシア正教会において当時広く見られた「ストランニク(放浪の巡礼者)」として各地の修道院を巡り歩いたラスプーチンは、独特の神秘主義的カリスマと、人の心理の深層を射抜くような鋭い眼力を身につけていきました。彼を帝都サンクトペテルブルクへと押し上げたのは、地方の民衆信仰に惹かれた高位聖職者たちや、神秘主義に傾倒していた貴族サロンの推薦でした。
ここで、一介のシベリア農民がロシア帝国の実権に迫るまでの足跡を、ラスプーチンの生涯年表まとめとして整理します。
- 1869年:シベリアの農村ポクロフスコエで誕生。若年期は粗暴な農民として過ごす。
- 1890年代前半:ヴェルホトゥリエ修道院への巡礼を機に宗教的回心。各地を遍歴し「祈祷師」「幻視者」としての名声を得る。
- 1903年:首都サンクトペテルブルクに初上陸。サロフの聖セラフィム列聖式などを経て、首都の神学校関係者や貴族階級の知遇を得る。
- 1905年11月:ロシア第1革命の混乱冷めやらぬ中、皇帝ニコライ2世とアレクサンドラ皇后に初めて拝謁。「神の人」として宮廷に迎え入れられる。
- 1907年:皇太子アレクセイの内出血発作を祈祷によって止血したとされ、皇后からの絶対的な信託を獲得。
- 1912年:ポーランド・スパワ離宮での皇太子の致命的な発作際、電報による「皇太子は死なない」との祈祷直後に症状が劇的に回復。宮廷内での地位が不可侵となる。
- 1914年:第一次世界大戦勃発。ラスプーチンは参戦に猛反対するが退けられる。同年に故郷で女性暴漢に刺され重傷を負う。
- 1915年〜1916年:ニコライ2世が前線司令部へ出征。首都の留守を預かる皇后を通じて、大臣の任免や軍事方針に深く介入(「大臣のトランプ遊び」と呼ばれる政情混乱を招く)。
- 1916年12月:モイカ宮殿にてユスポフ公爵らにより暗殺される。享年47。
- 1917年3月:二月革命が勃発し、ロマノフ朝が崩壊。ニコライ2世が退位。翌1918年、皇帝一家はボリシェヴィキによって銃殺される。
ロシア正教の正統派修道士ではなく、法的な身分は生涯を通じて「農民」のままでした。それにもかかわらず彼が「怪僧」と呼ばれたのは、聖職者のような装束をまとい、教会の教義にとらわれない独自の贖罪観(「罪を犯してこそ真の悔悛と神の赦しが得られる」という異端派フリスト派に近い論理)を説きながら、宮廷の貴族たちを手玉に取った異様さに由来しています。