ネット上では事件発生当初、「制度の犠牲になった悲劇の父親」という擁護論と、「単なる凶悪犯」という指弾論の二極化が見られました。しかし、公開された裁判記録や報道各社の取材データを精査すると、いくつかの重要な盲点が浮かび上がります。
第一の誤解は、「司法が一切の面会を一方的に遮断した」という思い込みです。実際には家事調停の過程において、橋本氏の情緒不安定さや過激な言動がリスクと判断され、子の福祉を守る観点から制限が厳格化していったという時系列のプロセスが存在します。制度の硬直性が引き金になった側面はあるものの、SNS上での攻撃的発信が自らの首を絞める結果となっていた事実は否めません。
第二の盲点は、「元妻側の完全な悪意」とする一方的なネット言説です。法廷での証言によると、同居期間中にも激しい口論や精神的威圧が存在したことが示されており、夫婦間の破綻原因は一概にどちらか一方のみに帰せられるものではありませんでした。SNSというエコーチェンバー空間の中で、橋本氏が自身を「完全な被害者」として絶対視し、暴走を加速させてしまった構造が見て取れます。