芸能界入り直後から、彼女の主戦場となったのが赤文字系ファッション誌でした。まず名門誌『JJ』でモデル活動をスタートさせると、清楚系お嬢様スタイルが主流だった同誌に新しい風を吹き込みます。
さらに彼女のカリスマ性を決定づけたのが、講談社の看板誌『ViVi』の専属モデル(ViViモデル)への起用でした。90年代前半の渋谷・原宿を中心としたアメカジブームにおいて、平子理沙さんはタイトなTシャツにデニム、ウエスタンブーツをさらりと着こなし、同世代の女性たちから「理沙になりたい」と圧倒的な憧れの対象となりました。
当時の昔の写真を振り返ると、ふっくらとした唇に大きな瞳、小麦色のヘルシーな肌とブロンドがかったハイライトヘアが印象的です。単なる「可愛いモデル」の枠に収まらず、アメリカナイズされた自立した女性像を体現していたことが、読者を惹きつけてやまない評判の理由でした。