1961年、当時東映で飛ぶ鳥を落とす勢いだった中村錦之助時代のエピソードとして外せないのが、松竹の看板女優であった有馬稲子との結婚劇です。共演をきっかけに交際へ発展し、日本中が熱狂する世紀のロマンスとして祝福されました。
しかし、二人の結婚生活はわずか4年で崩壊を迎えます。有馬稲子が後に自著や回想録で語ったところによると、最大の要因は歌舞伎界・梨園特有の封建的な家風でした。映画界のトップスターでありながら、錦之介の母(小川ひな)や親族を取り巻く厳格な「役者の妻」としての立ち振る舞いを求められ、女優業との両立は完全に阻まれました。
さらに、錦之介の奔放な女性関係や酒豪ぶり、家庭内での絶対君主的な振る舞いに対する精神的疲弊も重なりました。自立した職業婦人としての自我を持っていた有馬稲子にとって、自己を殺して家に尽くす生活は耐え難く、1965年に協議離婚が成立。慰謝料など金銭的な争いは最小限に抑えられたものの、錦之介にとっては最初の大きな挫折となりました。