大谷翔平と花巻東の真実|160キロ伝説と二刀流の原点を解剖

大谷翔平と花巻東の真実|160キロ伝説と二刀流の原点を解剖

大谷翔平と花巻東の真実|160キロ伝説と二刀流の原点を解剖を徹底追究! 知っておきたい トピックの裏側を凝縮して配信します。

怪物と呼ばれた大谷選手ですが、その3年間は決して平坦な道のりではありませんでした。特に高校2年次は深刻な故障に直面し、投手としてのキャリアが断たれかねない危機を経験しています。高校時代の球速推移と怪我の経緯、そして甲子園成績と詳細まとめを客観的データで振り返ります。

学年・時期詳細・数値データ一般的な基準・相場編集部の見解・評価1年春〜秋
(2010年)球速:147km/h到達
肉体:急速な骨の成長期高1春の全国平均は125〜130km/h前後長身ゆえの出力過多。佐々木監督は将来を見据え野手出場を優先。2年春〜夏
(2011年)球速:151km/h計測
甲子園:夏1回戦敗退(帝京戦)高校球児の上位0.1%が145km/h以上左股関節の骨端線損傷が判明。甲子園では外野手中心、救援での登板に留まる。2年秋〜3年春
(2011〜2012年)センバツ:大阪桐蔭戦で藤浪晋太郎から本塁打を放つも初戦敗退センバツ初戦敗退(投手として9回11四死球9失点)肉体改造とリハビリ期。佐々木監督が一切無理な連投をさせず「我慢」を貫いた時期。3年夏
(2012年岩手大会)球速:160km/h記録
決勝:盛岡大附に3-5で敗退当時のアマチュア野球史上最速記録準決勝・一関学院戦の6回に計測。故障を乗り越えた肉体とフォームの結実。

高校2年の夏、大谷選手を襲ったのは成長期特有の「骨端線損傷(左股関節痛)」でした。骨が急激に伸びる時期に過度な投球負荷がかかると、関節が耐えられなくなる重篤な怪我です。ここで日本の高校野球界にありがちな「エース心中」を選ばず、佐々木監督は2年秋の公式戦で大谷投手の登板を徹底的に封印しました。右翼手や一塁手としてのみ起用し、投げ込みを一切禁止したのです。

この「投手をさせない勇気」こそが、のちの高校最速160キロ記録の真相を語る上で欠かせません。痛みを完治させ、下半身の使い方をゼロから見直し、入念な体幹トレーニングに充てた冬を経て、2012年7月19日、岩手大会準決勝の一関学院戦を迎えます。6回表、2死二、三塁の場面で投じたアウトコース低めのストレート。岩手県営野球場の電光掲示板に「160km/h」の数字が灯った瞬間、球場全体が地鳴りのような歓声に包まれました。

中島 亮太
著者

中島 亮太

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。