怪物と呼ばれた大谷選手ですが、その3年間は決して平坦な道のりではありませんでした。特に高校2年次は深刻な故障に直面し、投手としてのキャリアが断たれかねない危機を経験しています。高校時代の球速推移と怪我の経緯、そして甲子園成績と詳細まとめを客観的データで振り返ります。
高校2年の夏、大谷選手を襲ったのは成長期特有の「骨端線損傷(左股関節痛)」でした。骨が急激に伸びる時期に過度な投球負荷がかかると、関節が耐えられなくなる重篤な怪我です。ここで日本の高校野球界にありがちな「エース心中」を選ばず、佐々木監督は2年秋の公式戦で大谷投手の登板を徹底的に封印しました。右翼手や一塁手としてのみ起用し、投げ込みを一切禁止したのです。
この「投手をさせない勇気」こそが、のちの高校最速160キロ記録の真相を語る上で欠かせません。痛みを完治させ、下半身の使い方をゼロから見直し、入念な体幹トレーニングに充てた冬を経て、2012年7月19日、岩手大会準決勝の一関学院戦を迎えます。6回表、2死二、三塁の場面で投じたアウトコース低めのストレート。岩手県営野球場の電光掲示板に「160km/h」の数字が灯った瞬間、球場全体が地鳴りのような歓声に包まれました。