茂木欣一のキャリアを語る上で、伝説的バンド「フィッシュマンズ」の存在を切り離すことはできません。明治学院大学の音楽サークルでボーカルの佐藤伸治と出会い、1987年に結成された同バンドにおいて、茂木のドラムはレゲエやダブを基調とした唯一無二の浮遊感を生み出す心臓部でした。
1999年3月、フロントマンであった佐藤伸治が33歳の若さで急逝。バンドは活動停止状態に追い込まれ、茂木自身も「佐藤くんがいない世界で、どうやって音を鳴らせばいいのか」という深い喪失感と孤独の淵に立たされました。その直後、1999年5月には東京スカパラダイスオーケストラの創設メンバーであり天才肌のドラマーだった青木達之も不慮の事故で他界。日本のオルタナティブロック界は相次ぐ悲劇に見舞われます。
失意の茂木に救いの手を差し伸べたのが、同じ痛みを共有していたスカパラのメンバーでした。2000年にサポートドラマーとしてツアーへ帯同し、翌2001年11月に正式加入。佐藤伸治の歌声と青木達之のビート、その双方の喪失を受け止めながら、茂木は「音を止めないこと」を選びました。彼が叩き出すドラムには、亡き友への祈りと、生き残った者が音楽を鳴らし続ける覚悟が今も色濃く刻まれています。