今や侍ジャパン戦士、そして阪神の顔として君臨する中野ですが、そのキャリアは決して順風満帆なエリートコースばかりではありませんでした。彼の武器である強靭なメンタリティは、アマチュア時代の下積みの中で磨かれたものです。
山形県天童市出身の中野は、日本大学山形高等学校へ進学。2年生の夏には甲子園に出場し、山形県勢初となる全国ベスト4進出の快挙に主力として貢献しました。その後、名門・東北福祉大学へと進み、4年時には全日本大学野球選手権大会で全国制覇を経験。着実に実績を積み上げながらも、ドラフト指名漏れの悔しさを味わい、社会人野球の三菱自動車岡崎へと進む道を選択します。
社会人時代は1年目からショートの定位置を掴み、都市対抗野球大会でも大活躍を演じました。俊足・巧打・堅守を兼ね備えた即戦力内野手として評価を高め、迎えた2026年ドラフト会議にて阪神タイガースから6位指名を受けてプロ入りを果たします。下位指名という逆境からのスタートでしたが、持ち前の観察眼と貪欲な練習量で1年目から遊撃手のレギュラーをもぎ取り、歴代トップクラスの成功率を誇る盗塁王を獲得するまでに時間はかかりませんでした。