この巨大なメディアを生み出したのが、希代の出版人でありフィクサーとしても知られた創業者・佐藤正忠氏です。佐藤正忠氏の経歴の真相を検証すると、単なる編集者の枠を遥かに超えた怪物的バイタリティが見えてきます。
佐藤氏は1964年、株式会社経済界の前身となる「フェイス出版」を設立。編集方針として「企業は人で決まる」という揺るぎない哲学を掲げました。新日本製鐵の重鎮であった永野重雄氏、松下電器産業の松下幸之助氏、さらには時の首相・田中角栄氏といった日本の権力中枢と直接膝を突き合わせる関係を構築していきます。
当時のインタビュー記録や自著において、佐藤氏は自らの泥臭い取材手法と交渉術について次のように述懐しています。
「経営者の懐に飛び込むには、生半可なジャーナリズム気取りでは通用しない。相手の弱みも強みもすべて飲み込んだ上で、腹を割って付き合える人間関係を作れるかどうかだ」
この発言が物語るように、経済界における佐藤正忠氏の人脈は、時に政治家、官僚、財界首脳だけでなく、裏社会の動向にも通じる情報ブローカーやフィクサー層と交差することもありました。昭和という時代は、表の経済と裏の秩序が複雑に絡み合っており、大企業の不祥事揉み消しや紛争調停にフィクサーが介入することが日常茶飯事だったためです。
佐藤氏自身が豪放磊落なキャラクターであり、権力闘争の舞台裏を熟知していたことが、後世になって「佐藤正忠は総会屋や裏社会のドンと裏で繋がっていたのではないか」という都市伝説的な憶測を増幅させる最大のトリガーとなりました。