長年、映画や大河ドラマで描かれてきた桶狭間の戦いは、「義元が油断して宴会を開いていた田楽狭間の低地に、信長が山中を迂回して背後から奇襲をかけた」という筋書きでした。しかし、このドラマチックな展開は、江戸時代初期に小瀬甫庵が著した軍記物『信長記』の影響による創作であることが近年の研究で判明しています。
信長の一代記として最も信頼性が高いとされる太田牛一の『信長公記(首巻)』には、迂回したという記述は一切存在しません。信長は清須城から善照寺砦、中島砦へと敵の目前を堂々と前進し、山際から義元の本陣へ向かって「正面から強行突撃」を敢行した事実が明記されています。
豪雨が止んだ直後、視界が開けた瞬間に織田軍は突撃を開始。今川軍は後退を試みたものの、旗本隊が崩れて白兵戦にもつれ込みました。決して運任せの山越え奇襲ではなく、極めて合理的かつ緻密な情勢判断に基づいた強襲戦だったというのが、現在の合戦研究におけるスタンダードです。