全盛期の加藤春彦は、地上波キー局で週に何本ものレギュラーを抱え、テレビで見ない日はないほどの超多忙な日々を送っていました。しかし2000年代後半から徐々に全国ネットの出演が減少し、一時は完全引退説まで流れる事態となりました。インターネット掲示板やSNSを中心に「大物芸能人を怒らせて干された」「事務所独立時に圧力をかけられた」といった憶測が一人歩きしましたが、取材関係者の証言や本人がのちに明かした告白によって、実態は全く異なることが判明しています。
姿を消した決定的な理由は、20代から30代前半にかけて続いた猛烈な激務による心身の摩耗でした。当時の加藤春彦は、ドラマ撮影とバラエティの収録、地方ロケが連日重なり、睡眠時間が確保できない極限状態が常態化していました。バラエティ番組でのインタビューやトーク特番で本人が語った回想録によると、「自分が画面の中で笑っている理由すらわからなくなるほどの虚脱感」に苛まれていたといいます。
消費されるだけのタレント生活に強い危機感を抱いた彼は、30代を迎えたタイミングで自らの意思によりペースダウンを決断しました。所属事務所との契約形態を見直し、生活の拠点を生まれ故郷である愛知県名古屋市へと段階的にシフトさせていきました。すなわち、メディア環境の構造変化と自らの心身の防衛本能が重なった結果としての「計画的フェードアウト」が真相です。