徳川家重は暗君か名君か?言語障害を越えて田沼意次を見抜いた真実

徳川家重は暗君か名君か?言語障害を越えて田沼意次を見抜いた真実

徳川家重は暗君か名君か?言語障害を越えて田沼意次を見抜いた真実について見逃せない 理由を厳選して解説いたします。

Q1:徳川家重は本当に言葉をまったく話せなかったのですか?
A1:完全に話せなかったわけではなく、脳性麻痺の症状により発音器官が痙攣し、不明瞭で聞き取りづらい状態(構音障害)でした。日常を共にした側近の大岡忠光や一部の近習にはその言葉の意味がしっかりと理解できていたと記録されています。

Q2:側近の大岡忠光がいなければ政治ができなかったのですか?
A2:忠光は重要な意思伝達役でしたが、政治の決定権は家重自身にありました。家重は上がってきた政策文書を自ら精読し、不備があれば忠光を通じて厳しく差し戻しを命じています。忠光自身も権力を私物化せず誠実に仕えたため、二頭政治ではなく「高度な補佐システム」として機能していました。

Q3:徳川吉宗はなぜ優秀な弟(徳川宗武)ではなく家重を将軍にしたのですか?
A3:長子相続のルールを崩すことで発生するお家騒動や幕閣の派閥争いを防ぐためです。さらに、次男の宗武は学問に秀でていたものの自己主張が強烈で、官僚化した幕閣と衝突する危険性がありました。吉宗は家重の実直な知性と、制度で支える体制づくりを選んだのです。

橋本 菜々子
著者

橋本 菜々子

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。