自由律の歴史を語る上で避けて通れない二大巨星がいる。尾崎放哉と種田山頭火だ。
東京帝国大学を出ながらも社会に適応できず、酒と孤独に身をやつして小豆島の庵で生涯を閉じた尾崎放哉。「咳をしても一人」「墓のうらに回る」——彼の句には、孤独の底で絞り出された人間の本質的な寂寥が漂う。飾りのない言葉だからこそ、読者は逃げ場のない自己の孤独と向き合わされる。
対照的に、托鉢の旅を続けながら放浪の果てに句集『草木塔』を遺した種田山頭火の句は、圧倒的な動的感覚に満ちている。「分け入つても分け入つても青い山」「うしろすがたのしぐれてゆくか」。自然の懐に身を投げ出し、歩き続ける肉体と精神の震えがそのまま一行の調べとなっている。この二人が遺した足跡は、今なお色褪せない。