昭和50年代から60年代にかけて、サーキットのボルテージは頂点に達した。その震源地となったのが、富士スピードウェイで開催されていた富士グランチャンピオンレース(通称・富士GC)と、真夏の祭典として定着した鈴鹿8時間耐久ロードレースだ。
富士GCのパドックはまさに戦場だった。サーキット周辺には暴走族の改造車が列をなし、ピット裏には水着姿やレオタード姿のクイーンたちを一目見ようとファンが殺到した。押し寄せる人の波でバリケードが決壊しかけることもしばしば。当時の関係者は「ピットからトイレに行くだけでガードマンが数人必要だった」と苦笑交じりに振り返る。
衣装の過激化も凄まじいスピードで進んだ。単なるワンピース水着から始まったコスチュームは、バブル景気の前夜、ハイレグの切れ込みが腰骨を遥かに超える極限のデザインへと進化する。鈴鹿8時間耐久ロードレースの焦げるような猛暑のなか、アスファルトの照り返しに耐えながらヒールで立ち続けるクイーンたち。冷却スプレーを浴び、バックヤードで氷嚢を抱えながらも、カメラの前に出た瞬間にプロの完璧な笑顔を作る。そこには過酷な現場を生き抜く、プロフェッショナルとしての壮絶なプライドが存在していた。