堀米雄斗という規格外の才能を語る上で欠かせないのが、父・亮太氏の存在です。亮太氏自身も1980年代から1990年代にかけてストリートスケートに熱中した生粋のスケーターでした。雄斗がまだ物心つく前の1歳頃からスケートボードに触れさせ、東京都江東区の大島小松川公園などで二人三脚の猛特訓が始まりました。
当時の指導は、時に周囲の目を引くほど過酷なものでした。亮太氏の手記や関係者の証言によると、オーリー(板と一緒にジャンプする基本技)だけで数ヶ月間、完璧な高さを出せるまで次の技へ進むことを許さない徹底した基礎重視の教育方針でした。この時代に培われた狂いのない重心バランスと正確無比なスタンスが、現在の雄斗の代名詞である「ミスの極端な少なさ」を形作っています。
しかし、思春期を迎える過程で、父親の過度な介入に対して心理的軋轢が生じた時期もありました。スポーツ社会学における「ステージパパ(子どもの活動に過度に介入する親)」の課題として議論されるように、親の支配下から脱却し、自立した自我を確立することは、すべてのアスリートにとって不可避のハードルです。堀米雄斗が高校卒業後に単身アメリカ・ロサンゼルスへ渡った背景には、言語や生活環境の厳しさを引き換えにしてでも、「父の庇護と管理から離れ、自らの足でスケート人生を切り拓く」という強烈な自立意志がありました。この境界線(バウンダリー)の引き直しが成功したからこそ、現在の二人は指導者と教え子ではなく、互いを認め合う対等な同志としての良好な関係を保っています。