なぜ2人は子供を作らなかったのか。その背景には、単なる偶然ではなく、遠藤憲一が歩んできた過酷な下積み時代と、夫婦で下した覚悟の選択があります。
遠藤憲一は劇団員時代から20代、30代前半にかけて、俳優としての仕事に恵まれない不遇の時期を長く経験しました。当時はVシネマの悪役や端役が中心で、ギャランティは極めて不安定。生活費を工面することすら困難な日々が続き、将来への焦燥感から酒浸りになることも珍しくありませんでした。当時の特番インタビューや回想録でも、「明日の暮らしすら見通せない極貧のなかで、新たな命を預かり責任を持って育てる余裕など到底なかった」という趣旨の告白がなされています。
そして30代後半、大きな転機が訪れます。当時の所属事務所からの独立を模索するなかで、遠藤は元タレントで舞台女優の経験もあった妻・昌子さんに「自分のマネージャーになってくれないか」と懇願しました。昌子さんは最初、業界の厳しさを知るがゆえに固辞したものの、遠藤の熱意に押されてマネージメント業務を引き受ける決意を固めます。
2007年、個人事務所「エンパシィ(現アネット等)」を設立。妻・昌子さんが代表取締役社長に就任し、遠藤憲一の出演作の選定からスケジュール管理、ギャラ交渉、スタイリングのアドバイスに至るまで、文字通り二人三脚の体制が整いました。そこからは「夫婦」であると同時に、「敏腕プロデューサーと所属俳優」という運命共同体となり、全エネルギーを俳優・遠藤憲一の開花に注ぎ込むことになったのです。子育てという選択肢を選ばず、役者人生をともに創造することに人生のすべてを賭けた結果が、現在の確立されたポジションにつながっています。