砥鹿神社の起源は古代にまで遡ります。社伝によると、文武天皇の大宝元年(701年)、天皇の病気平癒を祈願するために三河国の草鹿砥公宣(くさかどのきみのぶ)が本宮山に祈りを捧げたところ、神託が下り病がたちまち全快したと伝えられています。この霊験により朝廷から篤い奉幣を受け、国家鎮護の社としての歩みが始まりました。
延喜式神名帳にも名を連ねる式内社であり、中世から近世にかけては三河国一之宮として源頼朝、足利尊氏、徳川家康ら歴代の武将からも社領の寄進や崇敬を受けてきました。三河武士団の精神的支柱としても機能してきた歴史的重みがあります。
祀られている主祭神「大己貴命」は、出雲大社の大国主大神と同体でありながら、三河の地においては特に「交通安全」「厄除開運」「心身再生」の守護神として独自の信仰圏を形成してきました。大己貴命が数々の試練を乗り越えて日本列島の国造りを完成させた神話から、人生の困難に直面した際、そこから立ち直り道を切り拓く「再起と再生のご利益」が極めて強いとされています。