「座布団を投げるのは相撲の古き良き伝統ではないのか」という疑問を抱く人は少なくありません。しかし、相撲の歴史を専門的に紐解くと、現在の座布団投げは伝統的な作法が著しく歪められた結果生まれた「似て非なる悪習」であることが分かります。
座布団の舞の遠いルーツは、江戸時代から明治時代にかけて盛んに行われていた「投げ草(なげぐさ)」と呼ばれる投げ祝儀の風習にあります。当時、素晴らしい取組を見せた贔屓(ひいき)の力士に対し、興奮した観客が自らの羽織や煙草入れ、被っていた傘、そして敷いていた座布団を土俵目掛けて投げ入れました。これは力士を傷つけるためではなく、「自分の身の回りの品を預けることで、後からその品を受け取りに来た力士や付け人にご祝儀(金銭)を渡す」という極めて粋なパトロン文化の一環でした。
ところが、この習慣は明治42年(1909年)に旧両国国技館が落成した際、安全上の配慮や風紀の刷新を理由に一度公式に禁止されました。その代替システムとして整備されたのが、企業や個人が特定の取組に報奨金を懸ける、現代の「懸賞金(懸賞旗)」制度です。
では、なぜ一度途絶えた投げ込みが「座布団の舞」として再来したのでしょうか。昭和の後期から平成初期にかけて、大相撲中継のカラー化や若貴ブームなどで館内の熱狂が頂点に達した際、横綱が平幕に敗れて金星を配給した番狂わせへの「驚き」や、横綱に対する「不甲斐なさへの野次(フラストレーション)」の表現として、手元にある座布団を投げる観客が自然発生的に現れました。メディアがそれを「大相撲名物の座布団の舞」と情緒的に取り上げたことで、地方場所や東京場所を問わず「金星が出たら座布団を投げていい」という誤った集団規範が定着してしまったという皮肉な歴史が存在します。