公私ともに順風満帆に見えた敏勝氏の人生が暗転したのは、2000年代初頭のことです。この時期の出来事こそが、後に世間を大きく揺るがす小室圭の父親の真相の核心部分にあたります。
当時の報道各社(週刊文春、週刊新潮など)の取材記録によると、敏勝氏は業務の部署異動によって新たな対人折衝業務や調整役に直面し、強い心理的ストレスを抱えていました。技術肌で物静かな敏勝氏にとって、利害関係者とのハードな交渉やタイトな納期管理は精神を著しく削るものであり、次第に不眠や体調不良を訴えて病気休職を余儀なくされる事態へと追い込まれていきます。
追い打ちをかけたのが、家庭内の金銭的・環境的プレッシャーでした。妻である小室圭の母親・佳代氏は、息子の将来を見据えて幼児教育やバイオリンレッスン、さらには学費の高額なインターナショナルスクール(カナディアン・インターナショナル・スクール)への進学を強く希望。敏勝氏の実家からの援助要請や住宅ローンの返済を巡り、夫婦間および親族間で深刻な意見の対立が生じていたと報じられています。
そして2002年3月、自宅を出たまま行方不明となった敏勝氏は、翌日、多摩川周辺の河川敷で遺体となって発見されました。享年38。小室圭の父親の死因は自死でした。当時10歳だった圭氏にとって、あまりにも早すぎる父との永久の別れでした。
さらに家族を襲ったのは、これだけに留まらない残酷な連鎖でした。一人息子を失ったショックから、藤沢市に住んでいた敏勝氏の実父(圭氏の祖父)も後を追うように自死。そのわずか1年後には、心身をすり減らした実母(圭氏の祖母)までもが自ら命を絶つという、極めて痛ましい事態へと発展したのです。短期間のうちに直系尊属3人を失うという過酷な悲劇は、小室家の歴史に消えない影を落とすこととなりました。