昭和歌謡史の年表を振り返ると、1968年(昭和43年)は日本のポップス文化が劇的な転換点を迎えた年でした。その中心にいたのが、東芝音楽工業(現・ユニバーサルミュージック)から彗星のように放たれた黛ジュンです。前年1967年に『霧のかなたに』で華々しい脚光を浴びた彼女は、1968年5月にリリースした『天使の誘惑』で爆発的人気を獲得。同年の「第10回日本レコード大賞」を弱冠20歳にして戴冠し、時代の頂点へと駆け上がりました。
まさにその熱狂の渦中、同年9月10日にリリースされたのが通算4枚目のシングル『夕月』でした。レコード業界の常識では、快活なビート歌謡とミニスカートの健康的なセクシーさで天下を獲った直後であれば、同系統のアップテンポナンバーを畳み掛けるのが定石です。しかし、制作陣が選択したのは、日本の伝統的な短調の情緒と洋楽的オーケストレーションが融合した、極めて重厚な哀愁歌謡でした。
この大胆な路線変更こそが、黛ジュン『夕月』のヒットの理由における最大の鍵でした。オリコンチャートでは最高位2位を記録し、公信力ある業界推計で累計売上100万枚以上(公称)を達成。当時チャートの1位を独走していたピンキーとキラーズの『恋の季節』と激しいデッドヒートを繰り広げ、若者層だけでなく、それまでビート歌謡に距離を置いていた中高年層の心をも鷲掴みにしたのです。