ネット上のコミュニティやSNSで愛宕神社を調べると、必ずと言っていいほど目にするのが「出世の石段を降りると出世運が地に落ちる」「登った階段をそのまま引き返しては台無しになる」という警告です。現地を訪れても、汗を流して頂上に到達したスーツ姿の参拝者たちが、誰一人として正面の石段から降りようとしない異様な光景が広がっています。
この禁忌の根底にあるのは、後述する曲垣平九郎(まがき・へいくろう)の故事に由来する「登り詰めて名声を得た」という原体験です。登る行為が「立身出世」「運気上昇」の象徴である以上、同じ道を下る行為は「地位の失脚」「運の降下」を連想させます。言霊や縁起を重んじる日本の精神文化において、「上った階段を自ら踏み降る」というアクションは、心理的な後退を意味するタブーとして定着しました。
神職関係者の言説や神道的な解釈を紐解いても、「下ることを固く禁じる教義」が教典に明記されているわけではありません。しかし、現場の石段を見下ろせば別の現実が浮き彫りになります。上から見下ろす傾斜約40度の石段は、踏面(足を乗せる奥行き)が狭く、一歩足を踏み外せば下まで転落しかねない極めて危険な構造です。つまり、「出世をフイにしない」という縁起担ぎの裏には、「安全のためにこの危険な急傾斜を後ろ向きや下り足で歩かせるわけにはいかない」という、先人たちの極めて実利的な生活の知恵と防犯・防災の教えが重なり合っています。