1986年1月28日午前11時38分、フロリダ上空は抜けるような冬の青空が広がっていました。ミッション「STS-51-L」を担うチャレンジャー号には、ディック・スコビー船長をはじめとする歴戦の飛行士に加え、宇宙授業計画(Teacher in Space Project)で全米1万1000人超の応募者から選ばれた社会科教師、クリスティ・マコーリフ氏が搭乗していました。教室のテレビ画面に釘付けになっていた何百万人もの子どもたちが見守るなか、カウントダウンゼロとともに白煙を噴き上げ、シャトルは上昇を開始しました。
しかし、発射からわずか0.678秒後、地上カメラはすでに右側固体ロケットブースター(SRB)の後部継手付近から小さな黒煙が吹き出している様子を捉えていました。この時点ですでに悲劇の引き金は引かれていたのです。
上昇を続け、最大動圧点(Max Q)を通過した直後の発射58.788秒後、右側SRBの隙間から連続した炎のプルーム(噴流)が噴出。この超高温ガスが、巨大な外部燃料タンク(ET)の支持構造物と液体水素タンクを直接焼き切りました。そして発射73.124秒後、高度約1万4600メートル(約4万8000フィート)において、マッハ1.92で飛行中の機体後部で燃料タンクが構造破壊を起こします。
一般に「空中爆発」と表現されますが、ロジャース委員会報告書の工学的分析によると、実際には火薬のような爆発現象ではなく、漏洩した液体水素と液体酸素が空気中で猛烈に引火・燃焼し、その膨大な空力荷重(空気抵抗の激変)によってオービタ(シャトル本体)が空中分解したのが物理的実態でした。