比叡山焼き討ちをめぐる最大の衝撃は、1980年代以降に本格化した発掘調査の新事実によってもたらされました。比叡山延暦寺の中心的聖域である根本中堂や大講堂の周辺を発掘した結果、当時の激しい火災を示すはずの厚い焼土層や灰の堆積が確認されなかったのです。
出土した遺物や地層の分析から判明したのは、実際に壊滅的な打撃を受けたのは山麓の門前町である「坂本」周辺や、山腹に点在していた武将・僧兵の宿坊であったという事実です。山上の主要な仏教施設が一夜にしてことごとく灰燼に帰したという従来の言説は、後世の軍記物によって大幅にドラマチックに脚色された構図であることが分かってきました。