二年坂を語るうえで欠かせないのが、すぐ上段に連なる「三年坂(産寧坂)」との関係性です。観光客がひと続きの坂道として歩くことも多いこの2つの坂ですが、その歴史的背景や景観の特徴には明確な違いが存在します。
通説として最も広く知られている名前の歴史と由来は、平安時代初期の大同年間における道路整備の記録です。平城天皇の御代である大同2年(807年)に開削された坂を「三年坂」と呼び、その翌年の大同3年(808年)に北側の小径として拓かれた坂を「二年坂(二寧坂)」と呼ぶようになったという開通年次説が、古文書『山州名跡志』などにも記されています。
もうひとつの有力な由来が、清水寺の子安観音(子安塔)への安産信仰にまつわるものです。豊臣秀吉の正室・北政所(ねね)が我が子の誕生を祈願して清水寺へ参詣する際、この坂を通ったことから「無事に産まれて安寧を祈る坂=産寧坂」と呼ばれるようになり、その手前にある緩やかな導入路を「産寧坂に通じる手前の坂=二寧坂」と呼ぶようになったという説です。文化庁の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている両地区の基本データを以下の表にまとめました。