愛媛県の県庁所在地は松山市!なぜ愛媛市がない?歴史の真相を解剖

愛媛県の県庁所在地は松山市!なぜ愛媛市がない?歴史の真相を解剖

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県外の人が抱く最大の謎が「愛媛県なのに、なぜ愛媛市が存在しないのか」という疑問です。この疑問を紐解く鍵は、明治維新直後の廃藩置県 歴史(1871年/明治4年)における凄まじい行政再編にあります。

江戸時代の伊予国(現在の愛媛県域)は、単一の領主が治めていたのではなく、松山藩(久松松平家・15万石)のほか、宇和島藩(伊達家・10万石)、今治藩(久松松平家・3万5千石)、大洲藩(加藤家・6万石)、西条藩(紀州徳川家支流・3万石)など、合計「伊予八藩」と呼ばれる小藩が入り乱れて統治していました。地域ごとに強い帰属意識と独自文化が根付いていたのです。

1871年の廃藩置県当初、松山藩はそのまま「松山県」となり、今治県や西条県などと統合されて一度は「石鉄県(せきてつけん)」へと改編されました。一方、南予地方の宇和島県などは「神山県(かみやまけん)」として統合されます。そして1873年(明治6年)2月20日、石鉄県と神山県が合併して現在の愛媛県の境界線が誕生した際、新政府は新たな県名を「愛媛県」と定めました。

県名となった伊予国 由来の源泉は、日本最古の歴史書『古事記』にあります。国生みの神話において、伊予の国は「愛比売(えひめ=愛らしい姫、愛すべき美しい女性の意)」と名付けられており、これが都道府県名として採用された唯一の「神名(神様の名)」です。

当時、八藩が合併するにあたり、特定の城下町(例えば松山や宇和島)の名称をそのまま全県の県名にしてしまうと、他地域の住民や旧士族から強い反発が生まれる恐れがありました。そこで、伊予全域を包括し、誰もが誇りを持てる古代神話の美しい呼び名である「愛媛」が新県名として採用されたのです。

一方、県庁が置かれた松山の地は、加藤嘉明が1603年に命名して以来、城下町として250年以上の強固な地域アイデンティティを確立していました。1889年(明治22年)の市制施行時、すでに確固たる都市の歴史を持っていた松山城下の町が、あえて新参の広域呼称である「愛媛市」を名乗る必然性はどこにもありませんでした。歴史ある城下町「松山市」として市制を布いた結果、「愛媛市」という自治体は過去一度も誕生することなく現在に至っています。

木村 陽翔
著者

木村 陽翔

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。