笹川良一氏の生涯を語る上で欠かせないのが、モーターボート競走(ボートレース)の収益を活用した社会事業の構築と、死後に取り沙汰された遺産・資産の実態です。
第二次世界大戦後、巣鴨プリズンから釈放された笹川氏は、戦災復興と造船振興を目的にモーターボート競走法の立法に奔走。1952年に競艇事業を正式発足させました。この公営ギャンブルの売上から一定割合を拠出させ、民間主導で国内外の福祉・文化・学術事業へ分配する母体として創設されたのが日本船舶振興会です。
当時、数兆円規模の市場に成長した競艇マネーを背景に、一部メディアからは「私腹を肥やしているのではないか」「一族が巨額の利権を独占している」といった憶測が飛び交いました。しかし、1995年に笹川良一氏が96歳で逝去した際、公表された遺産総額や税務申告の記録によれば、個人資産の大半は私的蓄財ではなく、公益目的の財団・基金や不動産として公的に管理されていたことが明らかになっています。
自著や生前の公式インタビューにおいて良一氏は「自分は金を使う専門の人間であり、溜め込む人間ではない」と述べており、死後に親族間での醜い遺産争奪戦が起きなかった背景にも、早い段階から個人資産と財団資産の境界線を法的に厳格化していた実情がありました。