梅宮アンナさんの元カレ遍歴を語る上で、最大のトピックとなるのが1990年代に世間を騒然とさせた羽賀研二さんとの交際です。1994年の交際発覚から1999年の破局に至るまで、ワイドショーは連日この二人の動向をトップニュースとして報じ続けました。
当時、羽賀さんには不動産投資や事業の失敗に起因する数億円規模の借金が存在することが報じられていました。交際中、アンナさんは羽賀さんの借金返済を支援するために自ら保証人になったり、資金繰りに奔走したと伝えられています。中でも1995年に発売された二人の共著によるペアヌード写真集『アンナ 愛の日記』は、出版契約金や印税を借金返済に充てる目的であったと公に語られ、社会的な衝撃を与えました。
この交際に対して最も強硬に異を唱え続けたのが、父親である梅宮辰夫さんでした。辰夫さんはテレビカメラの前で「あいつは稀代のプレイボーイ」「絶対に結婚は許さない」「娘が騙されている」と涙ながらに、かつ激しい怒りを込めて訴え続けました。父としての直感と危機感は、のちの羽賀さんの法的不祥事(詐欺罪等での服役など)を振り返ると、極めて的確な予見であったと再評価されています。
1999年、約5年におよぶ交際はついに終止符を打ちました。破局の決定打となったのは、度重なる金銭トラブルに加えて女性問題が浮上し、アンナさん自身が「これ以上一緒にいても未来がない」と自覚したことでした。後年の自著やインタビューでアンナさんは「当時は盲目になっていた」「周りの忠告が一切耳に入らなかった」と赤裸々に振り返っています。