天正元年(1573年)、小谷城はついに陥落し、長政は29歳の若さで自害した。城を枕に討ち果てる間際、彼が下した最後の決断はお市の方と幼い三人の娘(茶々・初・江)を逃がすことだった。
長政の肉体は途絶えたが、その血脈は途絶えなかった。長女・茶々は豊臣秀吉の側室となり秀頼を生み、三女・江は徳川二代将軍・秀忠の正室となって三代将軍家光を産む。徳川幕府を通じて日本の平和を支えた血筋には、間違いなく浅井長政のDNAが脈々と受け継がれていた。小谷城の炎の中で見せた最期の配慮こそが、巡り巡って日本の歴史を動かすことになったのだ。 (出典: 浅井 長政(Yahoo!ニュース))
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