時計の針を1980年代に戻そう。当時のフジテレビは、日本のテレビ文化の頂点に君臨していた。その象徴こそが『オレたちひょうきん族』である。日本のお笑い界が最も熱く狂気と熱気に溢れていたこの時代、若き片岡鶴太郎は太田プロダクションの看板として異彩を放っていた。
番組内で繰り広げられたビートたけしとのやり取りは、まさに命がけの即興劇だった。「近藤真彦」のモノマネで大ブレイクを果たし、「アッチッチ」の悲鳴とともに沸騰する湯船へ突き落とされるリアクション芸は、現代のバラエティ番組の文脈をつくったと言っても過言ではない。
「たけしさんたちと現場でぶつかり合っていた時代は、毎日が戦場でした。とにかく爪痕を残す、それ以外に生き残る道はなかった」と後に彼が語ったように、当時の過酷な現場で培われた圧倒的な集中力と度胸が、その後のすべての転身の原動力となっている。