1982年4月、出雲大社での厳かな神前挙式と都内ホテルでの披露宴が報じられた際、当時の芸能マスコミや世間のリアクションは必ずしも祝福一色ではありませんでした。
当時のスポーツ紙や週刊誌の見出しには、「美女と野獣の結婚」「ポップス界の異色カップル」といった刺激的な言葉が並びました。華やかなテレビの世界でトップアイドル並みの人気を誇った竹内まりやに対し、テレビ出演を拒否し職人的なライブ活動に特化していた山下達郎のパブリックイメージの落差に、世間が勝手なギャップを感じていたためです。
さらに、当時の芸能界では「女性歌手は結婚したら引退するか、第一線から退く」という昭和的な固定観念が根強く残っていました。一部の心ないネット記事やゴシップ誌では、「打算的なビジネス婚ではないか」「まりやが家庭に入って才能が埋もれるのではないか」といった懐疑的な見方すら囁かれていたのです。
しかし、そうした俗説は結婚後の圧倒的な実績によって完全に粉砕されました。休業から復帰した竹内まりやは、1984年のアルバム『VARIETY』において全曲自作で作詞・作曲を担当。山下達郎が全編のプロデュースとアレンジを手掛けた同作からは、後に世界的バイラルヒットとなる「プラスティック・ラブ」や「もう一度」が誕生しました。2人の結びつきは芸能的な打算などではなく、互いの才能を最大限に開花させるための必然的な出逢いだったことが証明されたのです。