一方で、この警句にはネット文化特有の深刻な誤解や取り扱いの盲点も潜んでいます。最も典型的な曲解は、ロシア的・世紀末的な「虚無主義(ニヒリズム)」との混同です。
ネット上の投稿では時折、「どうせ死ぬのだから勉強しても無駄だ」「所詮人間は塵になるのだから快楽だけを追えばいい」という捨て鉢な態度を「メメント・モリの境地」と呼ぶ人がいますが、これは完全な誤謬です。それは「死を想っている」のではなく、「生に伴う責任や苦痛から逃走している」に過ぎません。
古代ローマの軍人たちも、ストア派の哲学者たちも、決して現実放棄のためにこの言葉を吐いたのではありません。有限であるからこそ、自身の理性と徳(アレテー)を全うする責任を全うしようとしたのです。ニヒリズムが生の価値をゼロに引き下げる思想だとすれば、「死を想え」は生の価値を極大化するための劇薬です。
さらに、美術や文芸の世界で過度に耽美化・装飾化された結果、「死をカッコよく語るためのポーズ」に形骸化してしまう罠もあります。頭蓋骨のアクセサリーを身につけ、意味深なフレーズを口にするだけで、実際の日々の行動は変わらない――。ただの自己演出に堕落した瞬間、この言葉が本来持っている研ぎ澄まされた刃は鈍ってしまう点に注意が必要です。