今や夏の代名詞となったこの楽曲ですが、24時間テレビサライ誕生の真相を振り返ると、そこにはテレビの生放送史上類を見ないほどの緊張感と、人間の情熱が凝縮されたドラマが存在していました。
発端は1992年、第15回を迎えた日本テレビ系『24時間テレビ「愛は地球を救う」』の大規模な番組リニューアルでした。それまでの単なる募金告知番組から脱却し、視聴者と真に痛みを分かち合い、一体となれる新しいシンボルを作りたいという制作陣の熱望から、「放送時間内の24時間で、視聴者の声を基にオリジナル曲を作り上げる」という前代未聞のプロジェクトが立ち上がったのです。
この無謀とも思える挑戦を引き受けたのが、パーソナリティを務めていた加山雄三さんと谷村新司さんでした。ここに、伝説的な谷村新司加山雄三エピソードが幕を開けます。
番組開始とともに、スタジオには全国の視聴者から膨大な数のFAXが送られてきました。そこに綴られていたのは、難病と闘う家族の姿、故郷を遠く離れて孤独に働く若者の叫び、亡き母への後悔、そして日々の暮らしでこぼれ落ちる素朴な幸せの記憶でした。谷村新司サライ作詞秘話の核心は、日本武道館の一室に積み上げられたその無数の便箋にあります。谷村さんは深夜、何千通ものFAXに目を通しながら、そこに共通して流れる「日本人の哀愁と愛」を一心不乱に拾い上げ、一編の詩へと昇華させていきました。
一方、加山雄三サライ作曲経緯もまた奇跡の連続でした。「弾厚作」の名義で昭和のポップス史を牽引してきた加山さんは、手にしたアコースティックギターを爪弾きながら、谷村さんが持ち込んでくる言葉の断片に即座にコードを当てはめていきます。生放送のカメラが回る中、スタジオの片隅でメロディが生まれ、ハーモニーが重なり、翌日のフィナーレ直前に奇跡的に完成。エンディングで出演者全員によって大合唱された瞬間、日本中が震えるほどの熱狂と涙に包まれたのです。