このコントが伝説となった最大の要因は、フロントに立ったパフォーマーたちの人外じみたリズム感にある。なかでも音楽的キーマンとなったのが志村けんだ。彼は当時、最新の輸入盤LPを買い漁るほど熱狂的なブラックミュージックのコレクターであり、本場のソウルやファンクのグルーヴを身体に染み込ませていた。
志村が持ち込んだ本物のノリを、天性のコメディセンスを持つ加藤茶が完璧な間とコミカルな動作で爆発させる。笛を吹き鳴らし、ホイッスルで全体を統率するいかりや長介の姿は、まるでバンドのバンマスそのものだった。
「生麦生米生卵」と口走るタイミング、首の振り方、そしてトドメのドタバタ。コンマ数秒のズレも許されない極限の緊張感の中で、彼らは笑いを生み出していた。一流ミュージシャンのジャムセッションさながらの緊張感とプレイフルな熱量が、画面越しに全国のお茶の間へと伝播したのだ。