京都の今熊野観音寺が「頭痛封じ」で圧倒的支持を集める最大の理由は、単なる民間伝承の域を超え、時の権力者であった皇族の奇跡的な治癒記録が公的な歴史の文脈と深く結びついている点にあります。寺伝によると、平安時代初期に弘法大師空海が唐から帰国後、この地で熊野権現の霊示を受けて自ら一寸八分の十一面観世音菩薩を刻み、本尊胎内に安置したのが草創とされています。
決定的な転機となったのは平安末期、院政を敷いた後白河法皇の逸話です。法皇は長年、激しい頭痛に苦しめられており、名だたる名医の投薬や修法も効果がありませんでした。そこで霊験あらたかと名高い今熊野の十一面観世音菩薩に平癒を祈願したところ、ある夜の夢枕に観音菩薩が現れ、光を放ちながら法皇の頭部を照らし、痛みをたちどころに取り去ったと伝えられています。
この奇跡に深く感謝した法皇は、熊野権現を勧請して今熊野神社を建立するとともに、自ら「新那智山」の山号を贈り、篤い庇護を与えました。公認された霊験の記録はやがて庶民の間にも「頭の病を根本から治す観音さま」として広まり、現在に至るまで脳の疾患、慢性偏頭痛、心因性ストレスに悩む現代人にとって最後の心の拠り所として機能しています。