人口3分の1が消えた黒死病の歴史|ペスト終息の真相と現代への教訓

人口3分の1が消えた黒死病の歴史|ペスト終息の真相と現代への教訓

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ペストをめぐる歴史言説には、ネットや大衆文化を通じて定着した幾つかの重大な誤解が存在します。その最たる例が、不気味な鳥の嘴(くちばし)を持つ「ペストマスク」の登場時期と役割です。

ペストマスクは中世の遺物ではない

多くの映画やイラストでは、14世紀の中世黒死病の時代にペスト医師が嘴マスクを装着している姿が描かれがちです。しかし、ペストマスクの由来と歴史における学術的事実はまったく異なります。この防護服一式を考案したのは、フランス国王ルイ13世の侍医を務めたシャルル・ド・ロルムであり、考案されたのは1619年(17世紀)のことです。

当時の医学界を支配していたのは、古代ギリシャ以来の「瘴気(ミアスマ)説」でした。悪臭を帯びた汚れた空気が病を引き起こすと考えられていたため、嘴の先端部にはクローブ(丁子)、樟脳、乾燥させたバラの花弁、木酢液に浸した海綿などの香気物質がぎっしりと詰め込まれていました。医師が患者の呼気や悪臭を直接吸い込まないための「原始的な防毒マスク」だったわけです。結果として、厚手の革製ガウンに蝋を塗り込み、全身を覆うスタイルはノミの刺咬を防ぐ物理的なバリアとして一定の防御効果を発揮しましたが、中世の黒死病当時には影も形も存在していませんでした。

医学の勝利ではない「ペスト終息の理由と真相」

もう一つの大きな疑問は、「特効薬も抗生物質も存在しなかった中世において、なぜ感染爆発は終息したのか」という点です。歴史学と古細菌DNA解析の進展により、ペスト終息の理由と真相には複数の生態学的・社会的な要因が複雑に絡み合っていたことが明らかになっています。

  • 「40日間の隔離(クアランティン)」という制度化:1377年、現在のクロアチアに位置するドゥブロヴニク(旧ラグーザ共和国)において、入港船に対して30日間の沖合待機を命じる布告が出され、後にヴェネツィアなどで「40日間(イタリア語でquaranta)」へと延長されました。これが英語の「Quarantine(検疫・隔離)」の語源です。潜伏期間と発症期間を上回る物理的な隔離を行うことで、外部からの菌の流入を遮断することに成功しました。
  • ネズミの種交代(クマネズミからドブネズミへ):中世の感染拡大を主導したのは、人間の家屋の屋根裏などに巣を作る「クマネズミ」でした。しかし18世紀に入ると、体格が大きく凶暴で下水や屋外を好む「ドブネズミ」がヨーロッパに侵入し、クマネズミを駆逐。人間とネズミ、そしてノミとの接触頻度が劇的に低下したという生態系の変動が指摘されています。
  • 宿主と病原体の淘汰:激しい流行によって感染しやすい遺伝的素因を持つ人口層が死亡し、生き残った人々に一定の抵抗性が生じたこと、また強毒性の菌株は宿主を急死させて自滅するため、比較的弱毒の菌株が共生関係に入ったことも収束を後押ししました。

しばしば「中世の教会が猫を魔女の手先として虐殺したためネズミが増加した」という説が語られます。実際に中世ヨーロッパで猫の虐殺事件は散発的に起きていたものの、パンデミックの主たる引き金とするには地域的・時期的なズレがあり、最大の決定打は都市の過密化と交易ルートの連結にあったと見るのが近年の定説です。

田中 結衣
著者

田中 結衣

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。