清原和博の現役時代は何が凄かったのか?成績・年俸と伝説の真相

清原和博の現役時代は何が凄かったのか?成績・年俸と伝説の真相

清原和博の現役時代は何が凄かったのか?成績・年俸と伝説の真相について見逃せない 事実を分かりやすい構成で解説いたします。

清原和博という打者の凄みを語る上で、1986年のプロ1年目に残したインパクトを避けて通ることはできません。PL学園高校時代に甲子園で通算13本塁打という金字塔を打ち立てた怪童は、鳴り物入りで西武ライオンズに入団すると、春季キャンプから首脳陣の度肝を抜きました。開幕当初こそ途中出場が中心だったものの、5月以降は完全に一塁手のレギュラーに定着。高卒ルーキーとしては前代未聞の打率.304、31本塁打、78打点という大記録を打ち立て、満票で新人王に選出されました。

高卒新人の30本塁打到達は、1959年の王貞治氏(7本)や1993年の松井秀喜氏(11本)ですら遠く及ばなかった異次元の領域です。当時西武の監督を務めていた森祇晶氏は、後に手記の中で「清原のスイングスピードとボールを捉える天性の感覚は、すでに完成されたプロの打者のそれだった」と回顧しています。甘い球を見逃さずにスタンドへ運ぶ選球眼と、外角のスライダーを美しい放物線を描いて右中間席へ放り込む逆方向への長打力は、歴戦のプロ投手たちを絶望させました。

特筆すべきは、緊迫した大舞台で発揮される勝負度胸です。同年の広島東洋カープとの日本シリーズでは、第8戦までもつれ込む死闘の中で2本塁打を放ち、チームを日本一に導く原動力となりました。翌1987年の巨人との日本シリーズ第6戦、9回表二死の守備で見せた「涙の日本一」は、今なおプロ野球ファンの間で語り継がれる屈指の名場面です。西武在籍11年間でチームは8度のリーグ優勝、6度の日本一を達成。清原和博は名実ともに「常勝西武の若き主砲」として君臨しました。

斉藤 蓮
著者

斉藤 蓮

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。