佐藤愛子の結婚歴は、まさに昭和という激動の時代と呼応するように苛烈を極めました。彼女は生涯で2度の結婚を経験していますが、いずれの結婚生活も平穏とは程遠い試練の連続でした。
最初の結婚相手は、陸軍航空隊の軍医であった森川弘です。1943年、太平洋戦争の戦況が悪化する中で結ばれた2人でしたが、戦後まもなく過酷な運命が襲いかかります。復員後の森川弘は、戦時中の過酷なトラウマや精神的重圧からモルヒネ中毒(薬物依存症)に陥り、家庭内は荒廃しました。佐藤愛子は献身的に看病と更生を試みたものの病状は好転せず、別居の末に1947年、森川弘は結核と薬物中毒の悪化により急逝します。若くして経験したこの最初の夫との死別は、初期の自伝的小説群の重要なモチーフとなりました。
その後、同人誌『文芸首都』で文学修業を重ねる中で出会ったのが、作家の田畑麦彦(本名:田畑恒彦)でした。互いに文学を志す同志として惹かれ合い、1956年に再婚。長女である杉山響子を授かり、一見すると文学者同士の知的な家庭を築いたかのように見えました。しかし、この再婚こそが、佐藤愛子の人生を数十年におよぶ闘いへと引きずり込む発端となったのです。