スーパー玉出周防町店は、単なる小売店舗を超えた「街の共同体の一部」でした。閉店が発表された当時から現在に至るまで、現場に通い詰めていた人々の証言には、ミナミという特異な繁華街のリアルが凝縮されています。
当時、近隣のバーで店長を務めていた男性は、取材に対しこう述懐しています。「急な団体予約が入ってレモンや炭酸水、氷が切れたとき、駆け込めるのは玉出周防町店しかなかった。業務用問屋が閉まる深夜3時に、台車を押して買い出しに行ける命綱だった。あのネオンが消えた夜、ミナミの夜のインフラが一つ失われたと痛感した」。
また、ネット掲示板やSNS上でも、「明け方に仕事上がりのホステスやホストが総菜を買っていた独特の光景が懐かしい」「大阪旅行で道に迷ったとき、あの眩しすぎる黄色い看板を目印に歩いていた」といった回顧の声が多数寄せられています。さらに、海外の個人旅行者向けプラットフォームでは、「大阪心斎橋のディープなスポット」「玉出 超市」として紹介され、異様な安さと原色看板をバックに記念撮影を行う外国人客で溢れかえっていました。周防町店の消滅は、ディープな昭和・平成の大阪風情が街から退場した象徴的な出来事だったのです。