『ロンドン橋落ちた』歌詞の怖い意味とは?人柱の真相と全番和訳を解明

『ロンドン橋落ちた』歌詞の怖い意味とは?人柱の真相と全番和訳を解明

『ロンドン橋落ちた』歌詞の怖い意味とは?人柱の真相と全番和訳を解明について徹底解説いたします。最新の情報をチェックしてください。

人柱が生贄にされたわけではないとすれば、童謡のタイトル通り「ロンドン橋が落ちた」決定的な物理的要因は何だったのでしょうか。テムズ川に架けられたロンドン橋は、数世紀にわたって数々の戦乱、火災、自然災害に見舞われてきました。

崩落の引き金となった3大歴史的要因

  • 1. バイキング襲撃説(西暦1014年):北欧のサガ(『ヘイムスクリングラ』)によると、イングランド王エゼルレッド2世と同盟を結んだノルウェーのオラフ・ハラルドソン(後の聖オラフ)が、デーン人(バイキング)に占領されていた木造ロンドン橋に船をロープで結びつけ、潮の力を使って力任せに引き倒したと記されています。これが歌の起源とする説も有力です。
  • 2. 厳冬による氷圧と破損(1282年):中世のテムズ川は川幅が広く流れが緩やかだったため、大寒波の際には川面が完全に凍結しました。巨大な氷塊が何日にもわたって橋脚に衝突し続けた結果、橋桁の主要部分が破壊され、複数人が川へ転落する大事故が発生しました。
  • 3. 過密建築と大火災(1212年・1633年・1666年):石造のオールド・ロンドン・ブリッジの上には、最盛期に200軒以上の住宅や商店が密集して立ち並んでいました。家屋の重みによる過積載に加え、木造家屋からの出火によって橋全体が猛火に包まれる惨劇が幾度も繰り返されたのです。

歴代ロンドン橋の変遷と崩壊史の比較データ

歴代の橋の構造、崩壊原因、そして流布している都市伝説の検証結果を客観的データとして整理しました。

時代・構造詳細・崩壊史データ一般的な都市伝説・言説史実に基づく調査評価ローマ時代〜木造期
(紀元50年頃〜1176年)木造杭と板張り構造。1014年のバイキング襲撃、1091年の竜巻、1136年の大火により複数回全壊。悪魔の怒りを鎮めるために旅人を犠牲にしたとされる。史実。軍事攻撃と耐火性の低さによる物理的損壊が原因。中世石造橋
(オールド・ロンドン・ブリッジ:1209年〜1831年)石造19連アーチ。工期33年。橋上に200軒以上の住居が林立。1282年に凍結崩落、大火を経験。強固な石橋にするため幼児を人柱として埋め込んだ。否定。ロンドン博物館の発掘で人骨の痕跡ゼロ。過積載と水流浸食が真因。19世紀花崗岩橋
(ニュー・ロンドン・ブリッジ:1831年〜1967年)ジョン・レニー設計の花崗岩アーチ橋。近代交通の増加に伴い年間約2.5cmずつテムズ川へ沈降。呪いによって橋が川底へ引きずり込まれていると噂された。物理的沈降。自動車社会の重量過多による地盤沈下が解体・売却の主因。現代プレストレスト橋
(現ロンドン橋:1973年開通〜現在)全長約269mのコンクリート製箱桁橋。エリザベス2世により開通式が挙行された。タワーブリッジと混同され、形が変わったと誤認される。堅牢稼働中。機能美を重視した近代橋であり、崩落の危険はない。
小林 直樹
著者

小林 直樹

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。