卑弥呼を巡る議論で頻繁にトレンド入りするのが、日本神話の最高神である「天照大神(アマテラスオオミカミ)同一人物説」です。SNSやネット掲示板では「卑弥呼の正体はアマテラスであり、大和朝廷によって隠蔽された」といった言説がセンセーショナルに拡散されるケースが後を絶ちません。
この言説がこれほど長く支持される背景には、いくつかの魅力的な類似点が存在します。第一に、太陽神であるアマテラスの性格と、「日の巫女(ヒミコ)」という言霊の響き。第二に、アマテラスが洞窟に隠れて世界が暗闇に包まれた「天岩戸神話」と、卑弥呼の死の前後に列島で観測されたとされる皆既日食(西暦247年および248年)の天文学的一致です。さらに、アマテラスの弟であるスサノオの乱暴狼藉に手を焼いた神話の構図は、男弟補佐によって統治した卑弥呼の実像と重なります。
しかし、文献批判を重んじる学術的な視点から見れば、この同一人物説には看過できない学問的ギャップが存在します。最大の問題は、『古事記』や『日本書紀』(記紀)が編纂された8世紀初頭において、大和朝廷は魏志倭人伝の存在を認識していた形跡があるにもかかわらず、卑弥呼の名を皇統譜に明記しなかったという点です。『日本書紀』の神功皇后紀には魏志の引用がありますが、卑弥呼を神功皇后に擬定しようとする作為が見られるのみで、アマテラスと結びつける記述は一切ありません。
歴史学者の多くは、神話と歴史的事実を安易に直結させる手法に警鐘を鳴らしています。天照大神は歴代の女性祭司たちの心象風景や太陽信仰が長い年月をかけて結晶化した神格であり、「卑弥呼という実在の個人=アマテラスそのもの」と短絡させるのは、学問的検証を飛び越えた俗説の域を出ないのが実情です。