情報空間において最も深刻な混乱を招いているのが、「医学用語としての猿手」と「日常会話・俗称としての猿手」、そして「手相」の混同です。これらを同じものとして捉えてしまうと、不必要な健康不安や誤った民間療法に誘導される危険があります。
まず、臨床医学の教科書に記載されている厳密な「猿手(Ape hand deformity)」は、肘の骨格のことではありません。手首を通る正中神経が外傷や重度の手根管症候群によって損傷する「正中神経麻痺」によって引き起こされる手の変形病態を指します。親指の付け根にある筋肉群が著しく萎縮する「母指球筋萎縮」が生じ、親指を人差し指と向かい合わせる対立運動ができなくなります。結果として親指が他の指と同じ平面に並び、サルの手のように平坦化してしまう神経障害です。肘が柔らかく曲がる一般的な猿手とは、発症部位も機序も完全に異なります。
さらに、手相において感情線と知能線が一直線に結ばれた「ますかけ線」を、古くは西洋医学の用語「Simian crease(サル線=単一手掌屈折線)」と翻訳した名残から、「猿手=ますかけ線=強運の手相」と結びつける言説が散見されます。肘のアライメント異常、末梢神経麻痺、手のひらの皮膚紋理という、全く異なる3つの事象が「猿」という共通の言葉によって混同されている実態を正しく認識しなければなりません。