ネット上の音楽フォーラムやSNSでは、しばしば「二名敦子は角松敏生のプロデュースなのか?」「角松ファミリーの一員だったのか?」という噂が検索されています。結論から言えば、角松敏生自身が二名敦子の公式アルバムを直接プロデュースした事実はありません。
では、なぜこのような言説が広まったのでしょうか。当時の音楽シーンと制作ネットワークを検証すると、2つの明確な理由が浮かび上がります。
第1に、80年代中期のリゾート・ブギーサウンドにおいて、角松敏生が打ち立てた『SEA BREEZE』『ON THE CITY SHORE』などの世界観と、二名敦子の『Loco Island』や『Windy Island』が極めて近い音楽的アプローチを共有していた点です。当時のスタジオミュージシャンやレコーディングエンジニア、ホーンセクションのプレイヤーが重複していたこともあり、海外のDJやシティポップコレクターが「同ジャンルの最重要作」として同じプレイリストに並べたことで混同が生じました。
第2に、村田和人や濱田金吾、安部恭弘といった「角松周辺と親交の深いAOR系シンガーソングライター陣」が二名敦子へ多数の楽曲を提供していた背景があります。直接的なプロデュース関係こそないものの、80年代の日本の最高水準を誇ったリゾート・ポップス・コミュニティの核心部分で共鳴し合っていたことは歴史的事実です。